野鯉の謎−30kmを移動する驚異の野鯉
2014年1月6日午後7時頃、水門川の塩喰地区で濃尾野鯉会の玉川会員が1m(16.8kg)の大鯉をゲットされました。
この固体が、昨年2回も津崎会員が揖斐川で記録したものと良く似ているとの玉川会員の連絡により、津崎会員と高橋が8日朝に現認すると、間違いなく同一の固体であることが判明しました。
上記は、その比較写真です。
最初に釣れたのは、2013年9月28日、国道1号線下流右岸でした。
このポイントは、河口から8km程しか離れていない汽水域です。
2回目はは、同じポイントで津崎会員が又ゲットした時のもの。
3回目が、2014年1月6日に水門川の塩喰地区で濃尾野鯉会の玉川会員がゲットした時のものです。
驚くべきは、津崎会員と玉川会員の釣れた場所が30kmも離れていることです。
しかも、真冬の1月の時期に釣れたという事。
そして、本流から支流まで上って釣れたという事です。
春のノッコミ期に本流から支流に上って釣れる事は良くあることです。
ただ、どの辺りまでその範囲になるのかは解りませんでした。
そして、晩秋から初冬の落ちの時期に支流から本流に下ったものが釣れる事も良くあります。
しかし、今回のように下る時期に昇り、しかも30kmも離れた所で釣れたという事は聞いた事がありません。
また、野鯉釣りの謎が一つ増えました。
濃尾地方で何回も釣られたことのある野鯉は結構多くあり、水門川に入り始めた30年ほど前より気付く様になりました。
但し、殆どが比較的狭い範囲で確認されたものばかりで、今回のように30kmも離れた所で確認されたことは初めてです。
●そこで、今回の件に就いて推測すると以下のような事が考えられます。
仮説1
水門川から揖斐川下流部までの広範囲をテリトリーとしている。
仮説2
水温の高い水門川に越冬するために毎年昇っている。
仮説3
水門川で産まれた鯉で、毎年春には産卵に昇っている。
仮説4
揖斐川で2回も釣られたので、覚えのある水門川まで避難してきた。
私が確認した中でこれまで最も離れていたのは、木曽川で1週間に2回釣られた92cmの野鯉で、1週間に約4km移動していました。
他にも、釣れたのは同じ場所でもリリースした所が遠く離れていたものは多く、鮭のように生まれたところを記憶しているのか、鳩の様な帰巣本能を備えているのではないかと思われます。
例えば、濃尾よって鯉祭りに於いて長良川の南濃大橋上流左岸で検量した野鯉が、翌週には10km程下流の森下まで戻り再度釣り上げられたケースや、私が米原の磯漁港で釣り上げた野鯉を16km程離れた能登川の大同川河口でリリースしたところ、翌年にはまた同じ磯漁港で私の仕掛けに掛かったケース等があります。
●記憶と場所
記憶のメカニズムとして、記憶は場所に関連付けされている事が多く、それは危険な場所や安全な場所,餌のある場所を記憶することは動物として非常に大切であったため,本能的に他の記憶よりも重要視され,より長期記憶として記憶されやすいと考えられています。
我々も忘れた時に元の場所に戻ると思い出すことがあるのは、このためです。
逆に、記憶の無い場所では思い出すことが無いので、私が新規ポイント開拓に励むのはこのためです。
すなわち、釣人の怖さを知らない場所だからです。
例えば、ある場所で何か危険な事が起きたと仮定しましょう。
その時、居合わせた者は急いでそこから避難し、離れたところまで来るとこう言うのです。
『やれやれ、ここまで来ればもう安心だ。』
●故郷と帰巣本能
動物の多くは産まれた所で卵や子供を生むものが多く、サケやウナギ、ツバメやカモなどの渡り鳥が良く知られています。
人間も年を取ると故郷が恋しくなります。
その理由は、最初に慣れ親しんだ既知の場所ゆえ安心できるからでしょう。
動物に於いて、第1印象は生命を左右する大きな判断です。
危険か安全か?
食べられるか、そうでないか?
それらを即座に判断しないと、生き延びることはできません。
長い寿命を持つ野鯉の中でも、親魚になるまで成長できたものは数十万分の一の僅かしかありません。
それまで自然の淘汰の繰り返しから生き延びてきた訳です。
今回の現象をそれらの事から考察すると、仮説の3と4が最も近いのではないかと思われます。
すなわち、この鯉は水門川で生まれた野鯉で産卵期には水門川に戻って産卵し、それ以外の時期は揖斐川本流で暮らしていたが、そこで2回も釣られて危険を感じ、産まれ故郷の水門川に避難してきたものであるという事です。
それにしても、この仮説が正しければ、産まれ故郷から30kmも離れた場所を生活の拠点にしている野鯉が居たということです。
人間の私でさえ、生まれた大垣市から10kmも離れた所に住んでいないのに、大したものですね。
【水門川】
水門川は、岐阜県大垣市笠縫町付近に源を発し、大垣市内の中之江川などの中小河川、排水路を合わせ、安八郡輪之内町塩喰で揖斐川の支流である牧田川に合流する、総延長14.5kmの一級河川である。
水門川は、1635年(寛永12年)に大垣城の外堀として築かれ、大垣城の外堀のみならず、揖斐川を介して大垣船町と桑名宿を結ぶ船運の運河の役割を持っていた。
松尾芭蕉の奥の細道のむすびの地は大垣船町であり、芭蕉が江戸に戻る時、船町から水門川を船で下った事は有名である。
水門川には湧水が多く、真冬でも水温が高く10度を超える。そのため、晩秋からノッコミの頃までの寒期に大鯉が良く釣れる。
私が水門川で初めて野鯉を狙い出したのは30年ほど前になるが、春秋の昇りと落ちの時に居付きの野鯉に本流の野鯉が混じり、一時は水門川フィーバーが起きた事もある。
その時に、リリースした野鯉が幾尾も翌年の同じ時期に釣れて、野鯉には居付き (定着性の強い) のものと渡り(移動性の強い)ものが居る事を確認。
ただ、その範囲は、せいぜい数km下流の揖斐川に掛かる福岡大橋辺りまでと思っていたのだが、今回の30km程下流から遣って来た固体を確認したことにより、予想以上に広範囲に移動するものもあることに驚いている。
本当に、野鯉釣りは解らない事が多いですね。
追伸
その後、この固体はまた国道1号線下流に戻り、同年の11月4日に武藤会員によって釣り上げられた。
サイズは、1m1cmで17.4kgと少し大きくなっている。